
北九州AI交流会 代表
現役機長。北九州でAIを教え、自分の手でつくっています。
AIという言葉が流行る前から、その仕組みを研究していました。
専門は航空運航。現役機長として10年以上。
現代の旅客機は、飛行時間の大半を機械が飛ばしています。
これは隠す話じゃありません。
パイロットの仕事を一つの並びで表すと、こうなります。操縦 < 監視 < 決断。
「操縦」そのものは機械の方が正確です。私たちの主な仕事は、機械が正しく仕事をしているかを見続ける「監視」。でもその上に、いちばん大事なものがあります。「決断」です。
今日出発するか、しないか。このまま着陸するか、もう一度やり直すか。乗客に何をどう伝えるか。こういう「やる/やらない」の判断は、機械に委ねていません。技術的な理由でもあるし、もっと根本的に「責任を機械に持たせられない」という社会の約束の問題でもあります。
長く運航の安全部門に関わってきました。飛行データを解析して安全を底上げする仕事です。エアバス本社(フランス・トゥールーズ)での専門研修も修了し、航空業界の安全会議にも多く参加してきました。
中でも力を入れたのは、現場の「気づき」を共有する仕組みを作ったこと。それまで年に数件だった報告が、年に100件規模まで増えました。数字が増えたというのは、つまり「危ない芽を、事故になる前にたくさん拾えるようになった」ということです。
この「失敗を責めずに報告を集める」という航空の安全文化の考え方は、いまAIを会社に入れるときの進め方にも、そのまま使っています。
機長になる直前の話です。
ここで学んだことが、いまの仕事のぜんぶの土台になっています。
当時、私は機長昇格訓練の最終段階にいました。あと数回飛べば審査が終わる、というところまで来ていた。場所は、仙台空港です。
その日も訓練でローカル空域を飛んでいました。離陸して、上昇して、いつものように場周経路に入ったとき、地上の景色が、なにか少しおかしい。管制塔を呼んでも、返事がない。何度呼んでも、応答がない。他の航空機の声は聞こえる。だから無線の故障じゃない。
私たちは上空にいたので、揺れは感じていません。でも、眼下に流れる川を見ていたら ── その川の水が、すーっと引いていったんです。直感で「これは津波が来る」と分かりました。あんな光景は、後にも先にも見たことがありません。
やがて、途切れがちな無線から管制官の声が届きました。「タワークローズします。大きな地震発生。ランウェイクローズ。管制塔避難します」。揺れる管制塔の中で、命がけで届けてくれた最後の一言でした。
仙台はもう降りられない。羽田も成田も閉鎖。外国機も上空で行き場を失って旋回している。日本の空が、制御不能になっていました。
私は副操縦士席で考えていました。「燃料は大阪まではある。安全な大阪まで戻ろう」と。でも、隣の教官機長は、まったく違うことを言いました。
「進路を南西に向ける。そんな時間はない。
とにかく安全なところに降ろすぞ。」
管制の許可は取っていません。管制下を離れ、目視飛行に切り替えて西へ向かいました。やがて教官が言いました。「地上に降ろすことを最優先する。福島だ。」
私は疑問を出しました。「福島も地震の影響があるはずです。滑走路が歪んでいたら、ひびが入っていたら、どうするんですか」と。教官の答えが、いまでも忘れられません。
「万が一ひびがあっても、それでも行く。
燃料がなくなるよりはましだ。
── 責任は、私が取る。」
あのとき私は、心の底から思いました。「これが、機長だ」と。後で知りました。上空で待機していた他機の多くは行き場が決まらず、燃料が綱渡りになっていた。早めに地上に降ろしてくれた教官の判断は、本当に正しかったんです。
AIの話をするときも、私はここから始めます。機械がどれだけ賢くなっても、「責任は私が取る」と言えるのは人間だけだからです。だから会社にAIを入れるときも、誰がどこまで引き受けるのかを、はじめに決めます。
市民センターのAI講座での話です。
私がAIを続けている理由は、たぶんここにあります。
参加者はほとんどがご高齢の方でした。その日は「スマホの写真をAIに見せて、話しかけてみましょう」という時間をつくりました。
ひとりのおばあさんが、ご自分が写った写真をAIに見せて、こう打ちました。
「この写真を褒めてください」
返ってきた言葉を読んで、その方はしばらく黙っていました。それから、目に涙をためて、こちらを見ました。
あなたがこれまで生きてこられた証が、
しわのひとつひとつに現れていて、
とても素敵です。
おそらく、ずいぶん長いこと、誰からも褒められていなかったんだと思います。機械が言ったことです。それは分かっている。でもその方にとっては、自分の人生をまるごと肯定された言葉でした。
私はそのとき、AIに何ができるのかを、初めて本当に分かった気がしました。効率とか、時短とか、そういう話じゃなかった。
同じ道具で、人を傷つけることもできます。事実でないことを、事実のように言わせることもできる。だから講座では、必ず先に伝えます。うのみにしない。大事なことは、自分で確かめる。
褒めてもらうのは、その約束の上でのことです。この順番は、どの相手でも変えません。
AIの話は、大きな会社や、詳しい人たちのあいだでは、もう当たり前のように回っています。
でも、私が北九州で会うのは、そうじゃない人たちです。毎月の転記作業に丸一日つぶれている小さな会社。ひとりで全部やっている個人商店。「うちには関係ない」と思っているお店。スマホは持っているけれど、AIは怖いと思っているご高齢の方。
本当にAIが効くのは、そういう場所です。人手が足りなくて、時間が足りなくて、相談できる人がいないところ。なのに、そこにはいちばん届いていない。
だから、北九州でやっています。
講座も、交流会も、会社の伴走も、
ぜんぶ同じ理由です。
30年前の興奮と、いまが重なっています。
私自身が、いまのAIの進化にすごく驚いています。
そして、ワクワクしています。
学生時代、慶應義塾大学でニューラルネットワークを研究していました。AIという言葉が当たり前になる、ずっと前のことです。研究していたのは、本当に原始的なニューラルネットワークでした。
それが30年経って、世の中を変えるところまで来ている。そのことが、もう、面白くて仕方ない。
30年前、インターネットがまだなかった頃、いまのこの生活は誰にも想像できませんでした。あの大きな変化を学生時代に肌で感じた感覚。それと同じか、それ以上のものを、いまAIに対して感じています。
だから、ひとりで先回りしたいわけじゃない。みんなで一緒に、進めていきたい。わからない人にも、一緒に触ってほしい。
AIに初めて触れた人が、
「えっ、すごい!」と驚いたり、くしゃっと笑ったりする顔を見るのが、
たまらなく好きです。
小さな空気の変化が、いちばんの報酬です。
山と、釣りと、コーヒー。

清水 桂太(しみず けいた)。北九州AI交流会 代表、しみかつAIくらぶ 主宰。現役のエアライン機長として空を飛びながら、地上では北九州を拠点に「AIを、もっと身近に」をテーマに活動。学生時代は慶應義塾大学でニューラルネットワークを研究。2025年3月に数人で始めた交流会は、北九州市の後援のもと毎回30〜40名、のべ220名を超える集まりに育つ。高校・大学・市民センター・業界団体での講演やAI講座、企業のAI活用サポートを手がける。
清水 桂太(しみず けいた)。北九州AI交流会 代表、しみかつAIくらぶ 主宰。現役のエアライン機長。
操縦席では、飛行時間の大半を機械が飛ばしています。それでも最後に決めるのは人。この「機械に任せる」と「人が決める」の線引きを毎日やってきた経験から、AIとの付き合い方を話しています。飛行時間はおよそ1万3000時間、4機種の型式限定資格を持ち、世界6大陸と北極圏に乗務。運航の安全部門では、現場の気づきを共有する仕組みを設計し、報告件数を年数件から年100件規模へ広げました。
学生時代は慶應義塾大学でニューラルネットワークを研究。AIという言葉が当たり前になる、ずっと前のことです。2025年3月、生成AIがまだ出はじめのころに数人で始めた北九州AI交流会は、北九州市の後援を受け、毎回30〜40名、のべ220名を超える集まりになりました。
講演・講座は、高校・大学・市民センター・業界団体で。専門用語を使わず、その場で全員がAIに触るところまで一緒にやるのが持ち味です。JDLA G検定合格(2026年)。北九州商工会議所 会員。